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【2024/05/02 03:39 】 |
第56回青少年読書感想文コンクール:県代表作品/15止 /福井
 ◇「死ぬ瞬間」-私の目指す看護---県立若狭東高3年・前野恵美子さん
私は将来看護師になりたいと思っています。幼い頃から、漠然と人を幸せにする仕事に就きたいと思っていましたが、人は生きていないと幸せを感じることはできないのだと思ったとき、命を救い、生きる手助けをする仕事に就きたいと思い始めました。そして、患者の一番身近な存在だということに魅力を感じ、看護師を志すようになりました。だから、少しでも医療に関する知識を身につけようとこの本を読みました。
この本には主に、筆者が医者という立場で実際に経験したことが書かれています。末期患者の死とその過程について、詳しく解説しながら読者に伝えてくれるとともに、医療従事者として、患者として、患者の家族として、それぞれがどうあるべきかを語りかけてくれる本です。
死の宣告を受けた患者には5段階の感情変化があります。その5段階とは、否認・怒り・取り引き・抑鬱・受容です。初めは「まさか自分が死ぬなんて」と宣告を認めず、「なぜ私が死ななければならないのだ」と怒り、「努力するから治して」と取り引きし、「努力しても報われない」と落ち込み、やがては死を受け入れられるようになるのです。しかし、それにはもちろん個人差があり、受容にたどり着く前に死を迎えてしまう人もいます。私は、患者にはそうした感情の変化があり、医療従事者はそれを理解し、患者に接することが大切であると知りました。
一番印象に残っているのは「たとえ返事ができなくても、家族や友人がそばにいてくれるだけで患者は孤独ではないと思えるのです」という一文です。私は、自分から働きかけても返事がなく、笑うこともない患者に対して寄り添い続けることに意味があるのだろうかと疑問を抱いていました。患者に反応はないのだから、そばにいても何も変わりはしないだろうと思っていたのです。しかし、それは全くの誤解であり、見舞い客側からの視点でしかないということにこの一文を読んで気づくことができました。様々な機器に繋がれ、一人でいるときはただ機器の音だけを耳にしている孤独な患者。話したくても話せない、いつ死ぬのかも分からない、そんな日々を過ごしている患者にとって、誰かがそばにいることはそれだけで勇気づけられることなのだと気づくことができました。話せない患者がいても、一人にせずそばにいたい、そう思うようになりました。
私には、転落事故により身体を自由に動かせなくなった祖母がいます。畑仕事も家事もできなくなった祖母は「早く逝ってしまいたい。何にも役に立たない自分は、生きていても仕方ない」と自分を責めていました。その言葉を聞いた時、私は、祖母がそんな気持ちを抱いていたことに驚き、その一方で、そんな気持ちにさせていたことに気づきました。それまでの私は、祖母と同じ空間にいてもたいした会話もせず、必要以上に関わろうとはしませんでした。そこに祖母がいることが当たり前だと思っていたのです。
しかし、祖母は、事故の後遺症による不自由な生活で、生きがいも生きる意味も見失っていました。私は、祖母の言葉を聞いて初めてそのことに気がついたのです。そして、今までそのことに気づけなかったことを恥じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
もっと早く気づいて、声をかけたり一緒に何かをしたりしていれば、祖母をこんなに追い込むことはなかったと思います。改めて、祖母の大切さを感じた瞬間でした。それからの私は、祖母に対し、生きてくれているだけでありがたいことを伝え、なるべく祖母を気遣って過ごすようになりました。祖母も次第に弱音を吐かなくなり、会話も弾むようになりました。
自分自身のこうした経験から、私は患者の気持ちに寄り添える看護師になりたいと思うようになりました。患者の気持ちは、自分が実際にその立場にならないと理解することはできません。しかし、想像することはできます。だから、常に患者の立場に立ち気持ちを察するとともに、何をすべきか、何ができるかを考え、行動する看護師になりたいです。そのためにも、筆者のような鋭い洞察力をもてるようになりたいと考えています。私は、自分の考えや思い込みで物事を考えがちです。筆者のように、その場その場を観察し、絶えず学び続け、様々なことを見抜く力を養うことが私には必要です。
医療従事者として、看護師として、患者やその家族の言動にどのような感情が込められているのかを察し、それに寄り添っていける医療を目指し、「あなたの看護を受けられてよかった」と言ってもらえるような看護をすることが、私の目標です。(E・キューブラー・ロス著、鈴木晶訳「死ぬ瞬間-死とその過程について」)=おわり
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【2011/01/24 15:22 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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